うつ病になって闘病しながら会社に入ったアイのお話

うつ病になってから就職した人の為になるブログ

闘病しながら就職したけど現実は...

どうもアイです

最初に宣伝というかこんな事をしようかなと思っています

Twitterにリアルのアカウント(ゲームとリアルの混合)

があってそこでうつ病の話や家庭事情がモロに書いてあるため

うつ病専用のアカウントを作りました(実は前からある)

そして友人や家族がうつ病になってしまった人に向けて悩みを聞いてみようと思います。

もちろんうつ病になった人もDMなどで相談して来てください

Twitter @inoutubyou

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では前回の話の続きから

 

1 会社に勤務する緊張や重圧は凄まじい

結論から言うと

自分は現在うつ病が再発して医者からは

「重度のうつ病なので今すぐ休職をしてください」

と言われました。

なのでこのゴールデンウィークを使って会社を休職しながら退職へと考えています。

先に注意としてうつ病の時に本当は3ヶ月くらい休職してから退職を考えた方がいいと言われています。

それでは会社に入ってからの自分について書いていきたいと思います(本題おせーよ)

実は自分は会社の寮で生活をしています。

その為寂しさや辛さを感じることが多いです

さらに建設業なので現場に行ったりみんなが重たい空気の中仕事をしているなか会社ではひたすら資格の勉強をしています。この1ヶ月毎日ほとんど緊張しながら生活をしていました。

そしたら薬を飲んでるのに眠れなくなったり、

朝起きたら泣いていることが多くなりました

心身共に参っていて冷静に考えることが出来なくなってしまいました。

そしたら見事に上のような結果になってしまったのです。

なのでこれから2度目の闘病生活をするこどが決定しました

がんばってとにかくこれからは療養しながら人生の目標を決めて行きたいと思います。

それでは

 

 

 

自分が闘病しながら就職した話

どうもアイとです

前回にも書いたとおり闘病しなが就職活動をしていたかを記事に書いていきたいと思います。

2 闘病生活

自分は最初うつ病になってから完全に無気力症状に陥ってしまいました。

毎日寝ては起きてぼーっとするかアニメを見たりしながら生活をしていました。

こんなことでいいのだろうかと度々思いながらも何も手付かずで正直辛かったのを覚えています。

そんなことではよくないと思いで毎日少しづつ外に散歩に行ったり高校の友達が遊びに誘ってくれた時

に遊びに行ったりして少しづつ症状がよくなっていきました。

3 もう一年の高校生活

症状がすこしよくなってから高校の先生から

定時制に編入学しないか?」

と言われ自分もいいリハビリになると思ったし早く就職したい一心でそれを受け入れました。

そのあと4年生として定時制(夜に学校へ行くこと)として編入学しました。

最初は夜の学校は怖いものと思いすごく緊張したのを覚えています。

しかも高校のもともと同級生だった友達はみんな就職してしまいすごい劣等感がありました。

それでもがんばって足りない単位は危険物取扱者などの資格を取ることで、何とか卒業までこぎつけました。

あと定時制の子は見た目金髪の怖いやつとかいましたけど案外そういう奴はアニメやゲームが好きで気さくに話せました。

4 就職活動は想像以上に怖かった

卒業までの切符は手に入ったけど就職することには正直恐怖しかなかったです。

というのもしたい仕事なんてないし学校の求人でを見ていてどんどんやる気も出てこなくなるしで散々でした。

しかも家が裕福じゃないので早く就職しなければと焦りを感じていて

何をしたいかよりどこか入らなければと思い

持っている資格でそこそこなところに滑り込みで今の建設業に入ることにしました。

 

今回はこんな感じで終わりたいと思います。

 

正直なところ就職しないで療養生活をもっと長い目で見るべきだったと思っています。

もし自分と同じような境遇だったりうつ病だけどこれから就職しようと悩んでいる人は

一回このまま働いて大丈夫なのか考えてみてください。

家族の方も平気そうに見えても気をつけてください

ここから再発する可能性があるので医師の方と相談してみてください。

 

次回は働いてみてどう思ったかを書きたいと思います

それでは

初めまして 自分がうつ病になった話

初めましてアイと申します

今現在社会人として建設業に働いています。

唐突な話なんですけど自分の紹介をさせていただきます。

自分は高校2年生の時にうつ病になり高校3年目を休学していました。

そこから同じ学校の定時制に編入学して1年間で卒業に必要な単位を取りました

家庭はとても裕福とは言えない家庭で、父親が70過ぎ母親はアルコール依存症に近い状態になっていました。

生活するお金なんかもなくて、生活保護に頼りながら何とか生きているような状態に陥り

何とか親に迷惑を掛けないよう就職したのが今の建設会社です。

ですが今は猛烈に後悔しています。

それはまだうつ病が治っていないのに会社に務めてしまったことです。

建設業は大変と聞く人がいるようにとてもじゃないですけど、

今現在自分は何の為に生きているのか分からないような状態です

朝起きれば泣き止むまで待ってから出社し

現場に行かされ怖い先輩達がいる中で仕事を覚えなければいけない

そんな生活を送っています。

ではこのブログではどのようなことを書いていきたいかと言うと

自分のように若い時にうつ病になってしまい右も左も分からない状態で人生どのように生きていけばいいのかそして自分が親や友人にこういって貰いたかったかこのように接して貰いたかったかを書いていきたいと思います

1 親には相当怒られた

自分がおかしいなと思ってから学校の先生に相談してその後すぐに心療内科に行きました

帰ってきてから親に

「今日実は心療内科に行ってきたんだけど、医者にうつ病って診断された」

と帰ってきてから紙を見せた時に親は

「お前がだらしないからこんな物になったんだ!!」

と酷く心に刺さる言葉を言われたのを覚えています。

正直この時自分はもう生きていくのすら辛い状況なのにこんな事を言われると思ってもみなかったので、本当に

(死んでやろうかな...)なんて思ってしまいました。

ただ医者と学校の先生が休みなさいと言ってくれたおかげで

親を何とか説得できたと思います。

このあとに自分はどのように闘病しながら就職してしまったのかを次回書いていきたいと思います

それでは